日本フットボールの父
ポール・ラッシュ博士

関東大震災から2年後の1925年(大正14年)、キリスト教関係の仕事で一人のアメリカ人が来日しました。
Paul Rusch
ポール・ラッシュPaul Rusch(1897〜1979)
  
 日本に長期滞在した彼は、山梨県清里の開拓をはじめ、近代日本にさまざまな貢献を行いました。彼の大きな功績の一つが、アメリカンフットボールの紹介と普及です。
立教大学教授となった彼は、1934年(昭和9年)に「東京学生アメリカンフットボール連盟」を設立し、その理事長に就任。
だたちに明治神宮外苑競技場で開催された日本初の公式試合は、平日もかかわらず1万5000人以上の観客を集め成功に終わりました。
しかし第二次世界大戦の勃発で、適性スポーツ・フットボールは中断。ラッシュ氏も帰国せざるを得ませんでした。
 
戦後、フットボールが再開。それを呼び掛けたのは、やはり再来日したラッシュ氏でした。
 
1948年には、明治神宮外苑競技場で第1回ライスボウルの幕が切って落とされ、ラッシュ氏は始球式のキックを行いました。

彼の力強いキックは、日本のアメリカンフットボールの復活と未来への発展を告げつものとなりました。

日本にアメリカンフットボールが誕生して50年目の1984年、ライスボウルは東西大学選抜対抗戦から日本選手権へと移行し、これを機会に、試合で最も活躍したプレイヤーに対して、日本フットボールの父、ポール・ラッシュの名を冠した最優秀選手賞(MVP賞)を贈り、その健闘を讃えることになりました。

 

ポール・ラッシュ杯歴代受賞者

 
ポール・ラッシュ記念センター